奈良芸術文芸サロン|歴史観光の佐保山茶論

奈良芸術文芸サロン|歴史観光の佐保山茶論
万葉・歴史講座
 
万葉・歴史講座
万葉集講演会 (開催 2017.12.6)
 
大伴家持の安積皇子挽歌の真相を探る


 お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛
 


 天平16年(744年)閏正月13日、聖武天皇の唯一の男皇子安積親王が17歳の若さで急死された。大伴家持がその2月3日に「かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも」で始まる荘重な儀礼風挽歌を作り、続いて3月24日に皇子の思い出や家持の私的な思いをこめた第2挽歌を作った。柿本人麻呂の皇子・皇女の逝去に際して作った長大な儀礼挽歌や献呈挽歌のあと、天平16年までの44年の間に9人の皇子・皇女(親王・内親王)が亡くなっているが、挽歌は1首も作られてなかった。それが家持によって今、作られたのである。それはなぜであろうか。家持の2つの挽歌の性格は全く違うのだが、それぞれどういう意味を持つのか。今は久邇京時代で、聖武天皇は難波宮に行幸中であったが、この挽歌の作られた場所は久邇京か難波か。この挽歌は作品としての理解にまだ様々の問題をかかえていておもしろい。答えは出るだろうか。その真相は明らかになるだろうか。
小野 寛


開催日時 2017年12月6日(水)14時開演(開場13時30分)

会  場 佐保山茶論 竹風亭

料  金 2,000円


お申込みはこちら



◇小野 寛(おの ひろし) プロフィール
昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。


小野寛先生揮毫による大伴家持万葉歌碑(佐保山茶論内)
(写真左)主碑・・・原文  (写真右)副碑・・・主碑の歌の読み下し文
写真をクィックしていただけば、拡大します。

小野鄒萓鹸毫大伴家持歌碑についてはこちら

万葉集講演会  (2016.12.9終了)
大伴家持の「いささ群竹吹く風の」をめぐって

 お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛
 
「佐保山茶論」は古代日本を代表する名門大伴氏の本邸の跡地の一角にある。そこは「歴史の道」が通っているが、その門前に万葉歌人大伴家持の歌碑がある。その歌は「絶唱三首」と称される天平勝宝5年(753)2月23日作の「興に依りて作る歌」の第2首、わがやどの いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕へかも(巻19-4291)である。初句の「わがやど」はこの佐保の大伴本邸の庭をさす。この歌は家持独自の表現「いささ群竹」と「音のかそけき」が注目される。家持はそれをもって何を言い表そうとしたか。私はこの詞句を家持の創造と考える。これを皆さんと共に考え、それが平安時代から中世にどのように伝えられてゆくか、探ってみたい。  
小野 寛


◇小野 寛(おの ひろし) プロフィール
昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。

万葉集講演会   (2015.11.20終了)
万葉集にいのちを見る

 お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛
 
 天智天皇の病い重篤になり、皇后は天皇の御寿命長くと願って、歌をたてまつられた。
    天の原ふりさけ見れば大君のみいのちは長く天足らしたり(巻2−147)
 大空を振り仰いで見ると大君の御寿命はとこしえに大空いっぱいに満ち満ちていらっしゃるという。ご病気平癒祈願の呪歌である。命をとどめるすべを求め、神に祈りをささげるのは今も昔も変わらない。
 斉明天皇代に謀略にかかって若き命を落とした有間皇子は、その死への旅路にあって、路傍の松の木の枝を結んで歌った。
    岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへり見む(巻2−141)
 天武天皇の皇子大津皇子も謀反をくわだてて死を賜るのだが、その日、いつも通いなれた池のほとりで涙しながら歌った。
    百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(巻3−416)
 時代は下がって、奈良時代天平7年、大伴坂上郎女は大伴の佐保の邸内に庵を結んで生涯を過ごした新羅渡来の尼理願の死を送って歌った。
    留めえぬいのちにしあれば敷きたへの家ゆは出でて雲隠りにき(巻3−461)
 万葉集に辞世の歌は少ないが、亡くなった人を送る歌は多い。また、この世の無常は知りながら、命の長かれと願う心はとどめ難い。そんな人の命を歌う歌を、万葉集に探って見ようと思う。
小野 寛


◇小野 寛(おの ひろし) プロフィール
昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。

万葉集講演会 (2014.12.12 終了)
万葉集 柿本人麻呂の名作「東(ひむがし)の野に」歌の謎に迫る


   お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛

 万葉集に柿本人麻呂の、軽皇子(のちの文武天皇)のお伴をして宇陀の阿騎野(あきの)に狩りに出かけて野営した時に歌った歌がある。その中にこの「東(ひむがし)の野に」の歌がある。その原文は「東野炎立所見而反見為者月西渡」(巻1-48)とある。これは書かれた文字数が少なく訓(よ)みづらい。平安時代から鎌倉初期までは訓めなかった。鎌倉中期に学僧仙覚(せんがく)が始めて「東野(あづまの)の炎(けぶり)の立てる所(ところ)見て反(かへ)り見すれば月かたぶきぬ」と訓んだ。他に「東野(あづまの)炎(もえ)立つ見えて」と訓む本もあり、結句も「月西渡る」と文字通りに訓むものもある。それを江戸時代一の国学者で歌人の賀茂真淵(かものまぶち)が「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ」と訓んで、この「炎(かぎろひ)」は「明(あけ)る空の光の立(たつ)をいふ」と解説した。しかし「炎(かぎろひ)」は陽炎、かげろうで、真淵のいう意味はない。この「炎」は何か、どう訓むのか、考えてみよう。小野 寛

◇小野 寛(おの ひろし) プロフィール
昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。

奈良・文学ぷろむなーど   (2013.12.14 終了)
奈良・文学ぷろむなーど

第6回


万葉集講演 
 
大伴家持の愛弟を思う歌


   お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛

 大伴家持が越中守として北陸道越中国に赴任する時、奈良山を越え木津川のほとりまで送ってくれた弟書持が、その2ヶ月後急逝した。木の花や草の花が好きだった弟は佐保の邸の庭にいっぱい植えて、朝に夕に庭に出て、慈しみ愛でていた。その弟の訃報を受けて、そらごとかざれごとかと疑い、信じられず、その悲しみを長歌に歌った。天平18年(746)9月25日のことである。この歌をよもうと思う。
 近親者の死は家持の文学をまた幅を大きく、豊かにさせた。これは柿本人麻呂の「泣血哀慟歌」に始まり、山上憶良や父大伴旅人が歌い、弟の死を悼む田辺福麻呂の挽歌もあり、それらの先例を学んだ文学作品を意図してもいます。家持のこの歌には佐保の里や佐保の山も出てきます。  小野 寛


◇小野 寛(おの ひろし) プロフィール

昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。

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