奈良芸術文芸サロン|歴史観光の佐保山茶論

奈良芸術文芸サロン|歴史観光の佐保山茶論
佐保路・佐紀路
 
佐保路・佐紀路
◇佐保路(さほじ)

   平城京の一条南大路であった現在の一条通りを東に突き当たったところに、東大寺の手貝門(転害門、佐保路門ともいわれる)があります。
この門を起点として、一条通りを西に歩くと道に沿うように、聖武天皇陵ー興福院ー不退寺ー法華寺と続きます。
このあたりまでを「佐保路」といいます。
古来、春の女神を佐保姫と呼んでいますが、このやさしさに満ちた名を持つ、標高100メートルほどの佐保山と呼ばれる丘陵は春のようにのどかで、佐保山の裾野の南を流れる佐保川のせせらぎは往来する人の心を癒してくれます。
奈良時代の佐保山の裾野は、その風光と立地の良さから高級貴族の邸宅地で、万葉歌人大伴家持、旅人、坂上郎女を輩出した大伴氏の邸宅、長屋王の別荘「作宝楼」、藤原氏の邸宅「佐保殿」、日本最初の公開図書館「芸亭」を設置した石上氏の邸宅があったといわれています。そこに風雅を愛でる風流士が集い、芸術・文芸の華を開かせました。『万葉集』には佐保で詠まれた歌も、佐保を詠んだ歌も多く、佐保路には多くの万葉歌碑がおかれています。

大伴坂上郎女が柳の歌
うち上る佐保の川原の青柳は今は春へとなりにけるかも
(巻8、1433)
    

 

 
◇佐紀路(さきじ)

 法華寺からさらにその先、平城宮跡を左に見て、西に続く道を「佐紀路」と呼んでいます。
奈良時代、平城宮の北側に位置するこのあたりには松林苑という庭がありました。池越しに、遠くに春日の山並み、近くに大極殿が望めるなど、風光明媚なところです。
佐紀盾列古墳群の各御陵周辺には、残された自然にその歴史が重なり、なんとも厳かな雰囲気が漂っています。

中臣女郎、大伴家持に贈る歌
をみなへし佐紀沢に生()ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも 
(巻4、675)

( 地    図 ) 


さきたたなみこふんぐん
佐紀盾列古墳群  
佐紀盾列古墳群
平城宮跡の北側に隣接する丘陵地に、巨大な4〜5世紀の前方後円墳がいくつも盾を東西に並べたようにつらなっています。(神功皇后陵、成務天皇陵、日葉酢媛命陵、磐之媛命陵、ウワナベ、コナベ古墳他多くの古墳があります。)
奈良時代、この地域の内に松林苑という非常に広大な平城宮の庭園がありました。
周豪には満々と水をたたえ、水鳥が浮かび、うっそうと繁る古墳の森の周辺は周遊路が整備され、静寂そのもの。すばらしい散策の道となっています。

ほっけじ
法華寺 
法華寺
大和三門跡に数えられる気品の高い尼寺。
奈良時代、藤原不比等の邸宅であったところを、不比等の娘である光明皇后が寺院としたものです。
慈悲深い光明皇后の姿を写したと伝えられる国宝十一面観音菩薩像がご本尊として安置されています。

かいりゅうおうじ
海龍王寺     
海龍王寺
平城京の北東隅にあって、都の鬼門を守ったことから「隅寺」(すみでら)とも呼ばれています。
731年に光明皇后の発願によって創建されました。
僧玄肪が遣唐使として帰国の際、嵐に遭遇しながらも無事帰国できたことから、渡航安全祈願のお寺ともなっています。

ふたいじ
不退寺     
不退寺
別名「業平寺」(なりひらでら)は、平城天皇が平安京の都を逃れて仮住まいした といわれる「萱(かや)の御所」の跡を寺院としたもので、境内には四季折々の美しい花が咲き乱れる「花の寺」としても名高い古刹です。

こんぶいん
興福院     
興福院
緑いっぱいの佐保山丘陵の山腹にある。静かなたたずまいの美しい尼寺です。                      
茶人長闇堂(ちょうあんどう)ゆかりの茶室があり、尼寺らしい清楚な境内で知られています。

佐保川堤の万葉歌碑
佐保の大伴氏ゆかりの地「佐保」。佐保路に沿って流れる佐保川の堤に大伴坂上郎女の万葉歌をはじめ、いくつもの万葉歌碑が点在し、のんびり巡ることができます。
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